対価を必要としない仕事。

すっかり秋めいてきたのに半そで半ズボンで過ごしたせいで今日一日肌寒かったいまがーです、こんばんは。

 

 

今日は、久しぶりに仕事等への想いについて。

私は、もし仕事というものが労働の対価としてお金をもらうこと、だとすると、仕事は嫌いだ。しかし、労働自体が嫌いなわけではないし、お金が嫌いなわけでもない

お金は生活するためには必要なんだからそりゃあ嫌いなわけないでしょう、なんて綺麗ごとを言うつもりもなく、お金は好きだと思う。単に生活するためにももちろん必要だけど、それ以上に自分がしたいこと、欲しいもの、そのためにはお金が必要であることも多々ある。だから、お金は嫌いではない。今のところ、あればあるだけ嬉しいと思う。

だけど、労働の対価でそれを得る、というのがあまり好きではない。いや、それが一番お金を得る手段なのは分かっているし、それ自体を否定するわけではない。

でも、とにかくその構図があまり好きではない。

 

なぜなら労働は、本当を言えば、自分が手伝いたい、この人や団体の助けになるならしたい、そういった想いの元のみで動きたいからである。そこにお金のやり取りは必要なくて、ただ純粋にそうしたい
極端な話、自分にお金が有り余っていて、もう一生不自由なく生活できるというなら、本当に自分を必要としている人や欲してくれている人を無償ででもいいので助けて生きていきたい
しかし、現実はそうもいかなくて、自分も生活があるし、お金をある程度はもらわないと自分のことすら疎かになる。自分が豊かでないと助けられるものも助けられない。なので、出来るだけ自分が手伝いたいと思った仕事を行い、その対価を得て、今のところは生活をしている。

 

 これが、冒頭の「仕事は嫌い」という言葉の意味。

 

なので、自分の目標地点としては、そういった、自分に対してのお金は労働と関係のないところ、もしくは対価を渡したいという思いの強いところからお金を得られるようにして生活を成り立たせ、それとは別の場所、団体、エリアにて対価を必要としない労働を行っていける環境を整えること、である。

それが、以前も言っていた、個人で仕事を行っている人たちが集まって仕事を受けたり共同作業したり分配したりなどできるような場所、システムコワーキングスペースクラウドソーシングの融合)の構築ともつながっていると思っている。

 

同じような考えの方がもしいたら話をしてみたいし、こんな話をする私に興味を持ってくれる方がいるようなら、是非お話ししたいので、お声がけいただけると嬉しいです。

 

 

では、今日はここら辺で。