ポケモンGOのイベントに見る生活に必要なこと。

仕事の関係で今日1日久しぶりに大阪にいたいまがーです、こんばんは。

 

 

さて、今日はまずは以下の記事を見てほしい。

www.gizmodo.jp

リリース当初爆発的に人気を得て、今でもその頃よりは落ち着いたものの一定数の人気をもっているゲーム、ポケモンGO。そこで、元々原作となっているポケモンのアニメや漫画等にも登場していないポケモンが出現して少しの間騒ぎになった。その話自体はネットニュースなどで見た人もいるかとは思う。でも、実はそれが、当初ささやかれていたバグなどではなく、運営側が仕掛けたイベントだったという話。

これについての人の反応やニュースへのなり方などを見て、新しいゲームの可能性を見た、ということを書いている。ようするに、今までゲームはプログラムされたものであり、ある程度技術のある人が見ればどういうものかを解析はできるし、そこまでしなくてもゲームの構造はなんとなく見える。ようするに、「攻略」ということが可能であった。それが、今回のように、あくまでプログラムされたものとはいえ事前に分かる術もなく、それが起こった後もなんだ?と人々に「?」をもたらすことができたということはつまり、「攻略」できなかったということである。これが、人々に新たな体験をさせた素晴らしいことだったのではないかと、書いている。

 

何かわからない未知の事象に、人々は恐怖を覚えると同時に、ワクワクもする。そのワクワクする体験というのが、私個人としては、何をするにしても大事なことだと思っている。

生活していく上では、ワクワクすることがあるだけで、日々が楽しくなる。それは別にゲームでなくてもいい。とにかくワクワクするということは、一度得られるとまたそのワクワクを得たいという思いから行動力にもつながるし、そのワクワクすること自体が生きがいになったりもする

逆に言えば、ワクワクさせることができれば、それで人を引き込める。これからどうなるんだろう、これをしたらどうなるんだろう、そんなワクワクを提供できることは、とても大事な、事業やサービスの評価視点だと思う。
先程記事で上げたポケモンGOも、そのワクワクによって今回色々なニュースに取り上げられたことでまたユーザーを獲得しただろう。VRの技術やAIの技術も、まだ見ぬ世界を見られるワクワクで人を引き付けている部分も多いように感じる。

 

しかし、ワクワクすることへのアンテナの感度は、子供の頃よりは大人になってからの方が悪くなっている。私だけでなく、そう感じる人も多いだろうと思う。でもこれは、勿体ないと思う。上記に上げたようにワクワクすることは楽しさにもつがなるし、これからのサービスを考えたり仕事の上でも大事になってくることだろうから。

それならばどうしたらいいか、それは、ワクワクすることへのアンテナを意識して伸ばしてみたり、そこに少しでも引っかかったのならあまりつべこべ考えず飛び込んでみるといいと私は思う。

 

 

昔の日本は未来を皆が見ていてよかったなどと言われることもよくあるが、これも未来のまだ見ぬ世界にワクワクしていたからだろうと思う。(もちろん、昨今の色々な事情のせいで見られなくなっているというのもあるだろうが、それは私は言い訳に過ぎないと思っている)

なので、そのワクワクする気持ちをもって生活していくことが、私は、より生活を豊かにしていく上で大事なことだと思っている。個人がより楽しく生きられるだけでなく、よりワクワクすることを考え付く人が増えれば、それだけ社会としてもよりよくなると思うからである。

 

 

ということで、今日はここら辺で。