ブロック塀の話にみるメディアのあり方。

夕焼けが懐かしさを感じさせることがあるのはどうしてだろうと思ういまがーです、こんばんは。

 


最近たまにニュース等で話題になる、ブロック塀の改修の話。
この前の大阪北部地震で、学校のブロック塀が倒れて女の子が亡くなってからというもの、あちこちで急に古いブロック塀が壊され始めている。私自身も、あぁその工事中だろうな、という場面に出会いもした。

 

この「昔のブロック塀が危ない」という話は、実は、かなり以前(昭和のうち)から言われている問題だった。昔のブロック塀は、ただただコンクリートブロックを上に積み上げただけのものがほとんどなので、ある程度高くなればドミノのように倒れるよね、という話。

なので、それを防ぐために1981年には、建築基準法にて、「一定以上高くブロックを積み上げた塀を作るときは控え壁というものを作ってね」というものができた。

ところが同時に、建築基準法には、「既に建ててしまっている建築物は基準法が変わって基準を満たさなくなってもとりあえずはそのままでもいいよ。でも、次直すときにはそこも一緒に直してね」という法律(既存不適格)もある。

そして、学校含めある程度不特定多数の人が利用する建物については、毎年、もしくは数年ごとに建築物に問題ないか建築士等が調べないといけないという法律建築物の定期報告制度)もあり、今回のような「控え壁があるかどうか」のチェック項目もきちんとある

 

つまり要約すると、かなり以前から、国も建築士も建物の所有者も、「控え壁のない高いブロック塀は危険」と認識していたけれど、「急いで直さなくてもとりあえずはそのままでいいよ」という法律の下、あまり直されてこなかったのである。

しかし、個人的にはそれが悪いと言いたいわけではない。新しい基準が出来たからといってすべての建物を基準に合うようにしていたら、とても間に合わないからである。それぐらい、しょっちゅう基準というものは実は変わっている。

 

問題は、そこまで危ないものと分かっているのに、一般の人たちにそこまでの認識を与えていなかったことだろうと思っている。

一般にそこまで危険なものだと認識できていたならば、学校なのだから地域でお金を出して修繕するなり、なんなりと対策は取れたはずだ。だが、そこまでの認識がないために、皆でお金出して塀を直そう、なんてことにはならなかったのではないかと思う。

今であれば、おそらくそんな動きがあって塀を直している、というところも多いのではないだろうか

 

人は、知識もありある程度予測できたり事例から学んで変化させていく力もある。だからこそ法律なども出来ているわけで。しかし同時に、皆の共通認識のようなものがないと動くことが少ない生き物でもある

だから、こういった危険性の高いものこそもっと声高々に、何かが起こる前から、あちらこちらのメディア等で言って広めてほしいものである。しょうもない作られた「マナー」や「普通はこうするべき」などを流布している場合ではない。そう思う。

 

 

では、今日はここら辺で。