自分を褒めることの大事さ。

最近曜日感覚がなさすぎるいまがーです、こんばんは。

 

 

 

 

今日は、自分のずっと思っていることを一つ話そうと思う。

というか、家庭教師をしていたときにいつも思っていたことである。

 

 

それは、最初に言ってしまうと、「何事も何かを成したときにまず褒めるべきは自分であるし、成し遂げて喜んでいる人には、その人自身を褒めてあげよう」ということ。

 

なぜこんなことを思うようになったのか。

実は自分は昔から、何かやりたいこととか達成できると、他人に何を言われようが自分が頑張ったからとしか思っていなかった。正直言って、これはこれで困ったものなのかもしれないが、本当にそう思っていた。他人がいくら助けてくれたことがあっても、まぁそれもあったけど、ぐらいにしか思っていなかった。そして、それがごく当たり前のことだと思っていた。

しかし、家庭教師を始めた割とすぐの頃出会った家庭で、そうではないことを知った。その家庭教師先の目標としては学校内のテストの点数をある程度まで上げることだった。ただ、その子供は不登校気味で、自分はどうやっても勉強ができないと思っていたのである。しかし、不登校気味であるにもかかわらず平均40点ぐらいは取っているわ、教えてみたら呑み込みは早いわで、勉強ができない子だとはとても思わなかった。実際、教え始めて3か月ほどたって、2回目のテストにて目標の点数(平均70点)を取ることができた。(正直学校のテストの点数なんてどうでもいいとは思っているが、それはまた別の話)

そしてその時に親と子供と三者で話したのだが、そこで衝撃があった。親が私に対しては感謝をしたのに、子供に対して全く褒めなかったのである。私は、テストの点が取れるように勉強の仕方と分かりにくい箇所やテストに出そうなところを解説しただけである。そりゃあもちろん、家庭教師として教えている以上、目に見える結果を残せたのは嬉しいし、それをしたのも自分ではあると思ってはいるし、逆に点数が上がらなければどうしたらいいのか考える。けれど、あくまで実際に勉強したのは子供であるし、呑み込みが早かったからの結果であった。なのにその子供を褒めないでどうするんだ、と思ったのである。そして同時に、そんなだったから「自分は勉強はできない」と子供が思い込んでいたのだと思った。

そんなことがあってから、家庭教師で受け持つ子供には何か結果を残せたときには必ず、「自分が頑張ったからだよ」と言うようにしていたし、親にもできる限り子供を褒めてあげるように言っていた。それがその子たちにどれだけ影響したかは今は知る由もないが、少なくとも誰にも褒められないという環境はよくないと思ったからである。

 

難しい言葉で言えば、「自己肯定感」と呼ばれる感覚。自分を認めることができる、ということ。この言葉自体を知ったのは最近なのだが、これが低いと、何かを頑張って出来たとしても自分を認められない。それだけでなく、自分のことが好きになれない、なんてことになる。そんなの勿体ないと思うのである。せっかく誰だって個性がある楽しい一人の人間であるのに、それを好きになれないなんて勿体ない。しかし、そうは言ってもそういった人は実際にいる。その原因は何だと言われれば性格もあるだろうし色々な要因はあるだろうが、身近な人たちが褒めてきたかも大きくかかわると思っている。

そして、そんな人には是非とも今からでも、周りが褒めていってあげてほしいのである。そうすることで、少しずつでも自分を認めることができてきて、前へ進みだし、前へ進めたことがあるとまたさらに自分を認められる、といういい循環が出来ると思うのである。

 

ということで、自分が大事にしてきたこと、でした。

 

 

では、今日はここら辺で。