子どもの好奇心。

家の印刷機が通信エラーで何度送っても印刷されないと思ったら、以前使っていた機種を指定していたことが判明して情けなくなったいまがーです、こんばんは。

 

 

今日、妻が以下の本を買ってきた。

それを読んで非常に良かったというので、私もいくつかのページを読んでみた。

色々な小説家や詩人、画家などの有名な人たちが言った言葉や、それに合う写真を中心に構成されているのだが、それを見ていると、多くの「あぁ、そうだなぁ」とか「なるほどなぁ」という気付きを与えてくれた。

 

その中の一つに、

子どもの澄んだ目は、様々な考えや意見、先入観、理屈によってすぐに曇ってしまう。自由だったはずの存在は、自我の重たい鎧で覆われてしまう。…(略 ーピーター・マシーセン(小説家)」

とあった。

 

これを見て、かつて自分も子供のころ、目に映るすべてが興味の対象で、これはなんだろうなぁ、どうしてなんだろうなぁ、なんてことをよく思っていたことを思い出した。身の回りに起こる様々なことが楽しくて、感動的で、楽しかった。
そしてそれと同時に、その頃周りの大人たちを見てそういった感動がなさそうなことに落胆し、「あぁ、こんな無感動な大人にはなりたくないなぁ」なんて思っていたことも思い出し、少し寂しくなった。

 

はたして、自分はそんな無感動な大人になってはいないか?

 

と自問し、あぁなっているなぁ、と思ったからである。
そのことを妻に伝えると、「それに気付けたならこれからは大丈夫だよ」と言う。

それで、あぁそれもそうだなぁ、と思った。

 

過去は変えられないし未来は分からないけれど、今を感じ、流れに身を任せることはできる。

そう思い、食後に妻と二人で近くの川のほとりを歩き、水や稲の香り、月や星の明るさ、鈴虫の音色を感じた時間は、とても有意義で嬉しくなる時間だった。

 

 

子どもの頃はおそらく誰もが多少なりとも持っていたはずの、身の回りへの好奇心。これを失いたくはないし、自分に子供が出来たら是非そこは尊重して伸ばしてあげたい部分だなぁ、と思った夜でした。

 

 

では、今日はここら辺で。