京都に学ぶ観光地。

あまりに綺麗な青空だと、特に見返す訳でもなんでもないのについ写真を撮ってしまういまがーです、こんにちは。

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今日は、観光地というものについて。
というのも、ついこの間、妻とともに京都の嵐山に観光に行ってきた。
その際に妻が話していたのが、「京都は食べ歩きがあちこちできるのに、奈良はあんまりそういうのないよね」と。

これを聞いて、色々考えて思ったのが、「京都の人は観光地であるという自覚とともに生きているし、全力で観光させようとしているな。」ということ。


例えば京都の町は、どこを歩いていても何かしら観光客向けのお店がある。

建築的なことで言えば、町全体で建築物の色彩から屋根の形状まで、所によっては電信柱をなくすまでして、「京都」というブランドを作り出している。

市役所ですら、夏場は浴衣で職員が働く、なんてこともやってのけている。

 

この全力感が嫌な人たちもいるとは思うけれど、私は、凄いなと素直に思う。

 

元々京都という土地はお寺がたくさんあったり名所がたくさんあって観光に向いているというのも確かにある。けれど、その観光資産をただ見せるのではなく、そこに新たな付加価値をどんどん出しているのである。

嵐山でも、美味しいコロッケやジェラートを食べた。これも、別に嵐山でジェラートが元々有名だったわけでも何でもないだろう。けれど、それを食べたくさせる雰囲気を街全体で作り出しているのである。


これが、奈良ではないように思う。「奈良は1日行けば充分」等と言われることがあるのも、その所以だろうと思う。
本当は奈良にだって、もっと楽しめたり美味しいものがあったりする場所もあるし、素敵な田舎の原風景のようなものに出会える場所なんてのもある。しかし、それを活かしきれていない。
なぜなら、あくまで単体として観光できる場所があるだけで、その周りに何がある?と言われれば、何もない、としか答えようのない場所ばかりだからである。だから、人にもなかなか勧められない。

 

こういうことは、日本のあちこちで言えるのではないかと思う。
住んでいる人からしたら勧めたいものはたくさんあるのになかなか観光してもらえない。来てもらえない。
観光大国と言われる日本で、それはとても勿体ないことではないかと思うのである。

 

ただ、これを嘆くばかりでは意味がなく、地域が動かないから、なんて言って自分が伝えたい地域の魅力を発信できないのも違う


それこそ、大きな組織やメディアではなく、個々が発信源になっている今だからこそ、そういった個々の発信をもっと出来たら、そしてそれを集められたら、それを観光への資源とできたら、それはすごく大きな力になるのではないかと思うのである。
そういった手法を考えるのも、楽しいかもしれないなと思った。

 


では、今日はここら辺で。